Yogi’s ブログ

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ハイヤーセルフを信じる

 瞑想、ヨガ、気功等、様々な方法でハイヤーセルフ=高い意識の状態に達する事ができる。精神を統一して集中することでその境地に行くことが、様々な精神的ワークの共通点と言えるだろう。普段の意識の、上の層の意識という表現なら伝わりやすいだろうか。その意識では、動物的な欲求の上の次元で物事を捉えることができる。簡単にいうなら、食欲、性欲といった動物的本能に制約を受けない意識で考えることができる。

 世の中を見渡してみればわかるが、人間社会はこの動物的な欲求を動力としている。人々の活動のほとんどは、動物的欲求がベースだ。溢れるコンビニ、男女のデートスポット、街にいれば、その欲求をベースとして社会は構築され、人々が行動していることがよく分かるだろう。食べるために働く、モテるために体を魅力的にする。そんな感じだ。

 

 では、その欲求の上で感じることは何だろうか。それは、私の見解では、良心だったり、創造することへの欲求だったり、動物的欲求では説明のつかない感覚だ。例えば、ハイヤーセルフの自分は創造的な活動がしたいという。これには、瞑想等のワークを行えば気づくことができる。自分の内側に眠っていた、本当のやりたいことが湧き上がってくる。その気づきを持って、日常生活に戻ると、自分の中には、動物的な欲求も存在している。食糧の安定供給を確保したいし、モテたい。動物的自分は、今の仕事は時間はとられるけども、安定的に収入が得られるし、衣食住が確保できるし続けるべきだ。という。創造的な活動なんてやってられない。それより、来月の家賃、車のローン、食糧、デート代を稼がなきゃというだろう。
しかしハイヤーセルフは挑戦を求める。その挑戦には、リスクを伴う様な気がするし、安定的で無いかもしれないという想像がよぎる。ハイヤーセルフは表現することも求める。しかし、内側の自分を曝け出して、人に変に思われるんじゃないだろうかと、心配する。動物的自分は、ハイヤーセルフの意見を、拒否して、今のまま、安全を維持するんだと必死になる。 

 

 しかしここで考えたい。そもそも私たちが生きる意味って何なのだろう?動物的欲求だけに従って、生きながらえて、与えられたエンターテインメントを享受しながら生きることが目的なのだろうか?ここはそれぞれの心に問うてほしい。真にやりたいことをやる、そんな喜びだと私は感じる。表現することの幸せは、異質の、最高の喜びだと、私は感じる。だから、ハイヤーセルフの自分=真にやりたいこと、を信じて決断をする。その決断には勇気が伴う。でも決断するんだ。

 するとどうだろう、心配していたリスクが次々襲ってくるだろうか?実はそんなことはない。下した決断はまた世界に波紋を与えて、バタフライエフェクトが世界に変化を与えて、物事はうまく回っていく。求めればご縁が見つかる。発信していれば共感者が現れる。完全な自然のように。だから全て大丈夫。必ずや物事は進んでいく。インターネットで人々が繋がれる時代。時間や場所の制約を離れて、人々の意識がつながり、

今まで実現しなかった理想が叶う時代だ、環境は整っている。

 

 ハイヤーセルフを信じて、真の自分を生きよう。